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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0914

浜松城 (静岡県浜松市中区元城町)  

◆浜松市制100周年記念事業で甦る出世城◆

そろそろ信濃のどーでもいい城に戻れそうなものだが在庫の賞味期限切れも困るので、もうしばらくお付き合い願いたい。

このクラスの城郭になると、田舎モンが扱える範疇を超すと思うので、旬な話題を織り交ぜてテキトーにお茶を濁して退散するのが最善策のようである・・(汗)

田舎のネズミが初めて見た浜松城とその解説は、従来のセオリーを打破出来るかもしれない・・・・(??)

浜松城資料集 (9)

まあ、さすがに家康さんもこのゆるキャラ「家康くん」には閉口とご立腹かもしれない・・・。

まあ、タヌキジジイに「胸キュン」などと往時は口が裂けても言えなかったと思えば、進歩ではある(笑)

浜松城 (3)もはやこの銅像も不要であろう・・(爆)

【城主・城歴】

浜松城は三方ヶ原の台地の東縁にあたる段丘上を利用した山城で、中世には引馬城(ひくまじょう)と呼ばれていた。中世の引馬城の位置は「古城」と伝えられ、現在は浜松城の北東にある東照宮にその名残を留めている。

元亀元年(1570)、徳川家康は弱体化した今川領内に侵攻し、木原吉次に命じ引馬城を取り囲むようにして浜松城を築城して東遠江侵攻の基地として居城を岡崎よりこの地に移した。

浜松城資料集 (7)
推定浜松城縄張図(浜松市のHPより)

天正十四年(1586)、家康は居城を駿府へ移す。天正十八年(1590)、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるとと家康は関東に移封され、浜松城は豊臣系の武将堀尾吉晴が入城する。関西の最新の築城技術を持つ堀尾氏は、浜松城に石垣を築き、瓦葺きの天守閣を建てたという。

慶長五年(1600)、関ヶ原の合戦で徳川家康が勝利すると浜松城は徳川譜代の城として豊臣色が一掃された。天守閣は17世紀に焼失し再建されなかったが、三の丸が整備され東海道の街道整備と共に城下町も発展していった。

現在の天守閣は昭和三十三年(1958)に市民の寄付により再建されたが、模擬天守であり往時を再現したものではない。

浜松城 (4)野性味溢れる野面積みの石垣。家康時代は土の城だったらしいが。堀尾時代の石垣も「戦国の城」にふさわしい貫禄がある。

【復元を計画している建造物】

●天守門

平成21年と平成22年の二回にわたる発掘調査により、天守曲輪の虎口にあった天守門は脚部が通路でその上に櫓が載る櫓門であることが確認された。天守門に連接して土塀が巡っていたことも確認出来たという。

櫓門に葺かれた瓦の特徴から、天守門は安土桃山時代(16世紀待つ)に建てられ、その後も江戸時代を通じて改修が繰り返されたようで、天守閣が無くなった後は浜松城の象徴的な存在として維持されたらしい。

天守門復元図

天守門があると無いとでは、随分違います。小生の地元の上田城も城門再建の効果は凄まじいものがあった。

そんでもって、テキトーに再現した模擬天守は壊すんでよねえ、浜松市の役人さん!!(爆)

浜松城 (5)天守門が載せられていた石垣。野面済みは切込みハギや打込みハギよりも丈夫だったという。(イカン、石垣フェチは卒業したのだ・)

●富士見櫓

天守曲輪の東隅にあったというのが富士見櫓で、発掘調査の結果は天正年間に建てられた「邸宅風」の建物であった可能性が高いという。出土物には天目茶碗もあるので、会合や茶の湯を催した特別な場所であったらしい。

富士見櫓復元図

浜松城資料集 (3)
発掘状況を知らせる「浜松城通信」(浜松市発行)

市制100周年はどうでもいいのですが、正直なところ「羨ましいなあー」って思いました。

浜松市は史跡や文化財の保護・調査には積極的な自治体で、通常であれば「教育委員会」が担当すべき部署とは別に「文化財課」というのがあるんです。

その使命感は他の自治体に見習って欲しいとも思う立派な志です。

興味のある方は浜松市役所 文化財課を参照願います。

浜松城 (6)天守門建設予定地。(赤い旗が発掘現場)

ここを訪れたのは昨年の10月。

到着時間がだいぶ遅れてしまい、ロクな見学も出来ずに模擬天守から眺めたいい加減な景色に溜め息・・(汗)

浜名湖の弁天島のホテルに辿り着くルートがイマイチ分からずチェックインの時間も迫って焦りまくり・・(笑)

天守門と富士見櫓が再建されたら、またゆっくり訪れてみたいお城です。

浜松城 (11)模擬天守の展望台から見た古城。

浜松城 (13)模擬天守からみた西端城曲輪、作左曲輪。

まあね、その後の歴代の城主様の出世物語などは信州の田舎ネズミが話すべきではないでしょう(笑)

それでも浜松藩政五万石の歴史の中で、25代の城主、老中五名、大阪城代二人、京都所司代二名、寺社奉行四名。

有名どころは「水野忠邦」(天保の改革)


≪浜松城≫ (はままつじょう 引馬城)

標高:41.9m 比高:37.1m
築城年代:不明
築城・居住者:今川氏、徳川氏、堀氏など
場所:静岡県浜松市中区元城町
攻城日:2012年10月9日 
お勧め度:★★★☆☆ 
城跡までの所要時間:5分 駐車場:市営駐車場
見どころ:野面積みの見事な石垣、郭など
注意事項:特に無し
参考文献:
付近の城址:


浜松城 (18)浜名湖弁天島の風景でお別れでしょうか。







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Posted on 2013/09/14 Sat. 23:04 [edit]

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コメント

家康さん

家康さんって 全国区での人気は今一つですが、彼の評価は年をとったほうが理解できますね。若い人はやはり幸村くんと政宗さんがダントツでしょう。派手ですもん。
そんな家康さん 静岡、愛知だけは地元だけあり、大事にされていますね。
この浜松城時代が一番輝き、はつらつした感じで、このころの姿は幸村くん、政宗さん並みの魅力があります。
しかし、この浜松城、なんだか今ひとつですね。市街化の波に飲まれちゃっているのかもしれませんが。
ここに出張帰りに立ち寄ったのですが、
旧城に行くのを忘れたのが、心のこりです。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/09/16 12:58 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

さすが人口80万都市ですね、長野市が田舎の町に感じました(笑)
浜松城も巨大都市の中の小公園って感じで存在感などありゃしませんでした・・・(汗)
それにしても合併し過ぎだと思います。そのうち浜松県になりそうな版図拡大戦略??

青筋立てた血気盛んな家康さんがそこにいたんでしょうね。
「信玄坊主のヤツ、馬鹿にしおって!!」

歳をとって老獪の域に達した時には自分も信玄以上の「タヌキジジイ」になるとは思っていなかったのでしょう。

小生もここを訪問した時は夕暮れが迫っており、旅館のチェックイン時間にも遅れそうでそこそこで退却。同じく古城まで見れませんでした・・残念・・(汗)

らんまる #- | URL | 2013/09/16 15:29 * edit *
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